理事長/学院長メッセージ

理事長メッセージ

明治学院理事長山﨑 雅男Masao Yamazaki

明治学院は、ジェームズ・C・ヘボン博士が創設した英学塾=ヘボン塾をその淵源としており、今年まで157年の歴史を重ねてきた伝統ある学校です。その教育は建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」に基づきなされており、白金に大学・大学院と高等学校、横浜に大学・大学院、東村山に中学校・高等学校を有し、全体では約14,200人の学生・生徒が学んでいます。そして、今日に至るまで日本の社会を支える多くの有為な人材を送り出して、その発展に多大な貢献をして参りました。
現在、教育をめぐる社会環境には大きな変化があります。一つは、少子化の影響により、高等教育を受ける18才人口が今後大きく減少すると見込まれ、大学進学者は20年後には8割程度に縮減するという動きです。二つめは大学進学率が50%を超え、多様な能力や特性あるいは背景を持つ学生が益々増加するということです。三つめは今後一層高度な情報化社会になるとみられ第4次産業革命、Society5.0といった計画が語られ、こうした社会で活躍できる人材の育成が求められるということです。さらには国際化やグローバル化は今後も続き、教育においても国境は低くなるだろうという見通しもあります。こうした環境変化を受けて各大学は学生の獲得に、教育内容の充実に、就職先の拡大に、懸命に取り組み、厳しい競争を繰り広げているところです。
明治学院においては、環境変化への対応も視野に入れて、創立150周年を機に2013年に教育ビジョン〜隣人と生きる世界市民の育成〜を定め、このビジョンを私たちの使命(ミッション)として教育活動を展開してきています。その内容は、建学の精神を発展させることを基本に、「ボランティアスピリッツの醸成」「グローバルマインドの形成」「キャリア教育の充実」を目標に据えて、これらを実現するため、教育内容の様々な改革や教育環境の一層の整備・改善を計画的に行ってきています。現在まだ道半ばですが、学校に課せられた使命をこの時代において果たすべく具体的施策を推進しているところです。
明治学院が建学の精神「キリスト教に基づく人格教育」を受け、教育を行う上で創立以来大切にしていることは、一つは神様の似姿に造られた人間の尊厳と平等を重んじること、もう一つは神様に造られた人間として隣人と共に生きるということです。従って、隣人の幸福や繁栄を大切にして、社会の一員として勤勉に生きると言った価値観を有する人間の育成に努めるとともに、これを実現しうる学力と人間力を培うことに長年に渡り力を注いできています。学校で学ぶことは、学ぶ者が今後一人の人間として日本社会、あるいは世界の中で働き、生活していくのに必要な知識、技術、能力を身につけるためになされるといってよいと思います。そして人は誰でも一人の人間としてどの様に社会の中で生きていくか、自分の生き方を決めねばならない時があるものです。その時、今述べたような生きる上での価値教育を受けてきた明治学院の学生・生徒たちは、どういう方向で学びと研究を深め、そして自分の力をどのように社会の中で活かすのかという良き判断、選択ができるであろうと確信しているのであります。
明治学院は以上述べてきたような考えに立って教育を進めています。是非明治学院に学び、そこで得たことを糧として、社会に貢献して、良き人生を生きてほしいと願うものです。現在は新型コロナウィルス感染症の影響で、普段のような学びや活動ができない状況でありますが、教職員は創意工夫を重ね、高い教育水準を確保できるよう取り組んでいます。新型コロナウィルス感染症が早期に収束し、良き学びの場が戻ることを祈るものです。

学院長メッセージ

明治学院学院長鵜殿 博喜Hiroyoshi Udono

「すべてのことに時がある」

聖書の中でどの書が好きかと問われたら、迷うことなく「コヘレトの言葉」を挙げます。わたし以外にもこの書が好きだという人は多いと思います。「空の空、空の空、いっさいは空である」という言葉で始まるこの書がなぜ人を魅するのだろうか?

「太陽の下、なされるあらゆる労苦は人に何の益をもたらすのか。」という言葉を聞くと、わたしたち人間の行うことは何もかもが無意味のように思われます。コヘレトの言葉にはこのような人生の虚しさ、この世の虚しさを表す言葉がたくさん書かれています。「太陽の下でなされるすべての労苦と心労が、その人にとって何になるというのか。彼の一生は痛み、その務めは悩みである。」これらの言葉だけ聞くと、この世には何の希望も意味もなく、わたしたちの努力も意欲も何ひとつ報われることなく、すべては水泡に帰してしまうなら、何かをしても何もしなくても同じことだと思ってしまうかもしれません。たとえ大きな業績をあげたとしても、それが後世に大きな意味を持つことであっても、当の本人が死んでしまえばその人にとってすべての意味がなくなってしまうのです。このような生の虚しさを語るコヘレトの言葉が希望と慰めの書になるのですから、不思議な書としか言いようがありません。

NHKEテレに「こころの時代」という番組があり、そこで6回にわたり「コヘレトの言葉」が取り上げられました。このテーマは好評を得たようで、のちに加筆したうえで本の形で出版されました。東京神学大学の小友聡先生と著述家で詩人の若松英輔氏の対話形式で「コヘレトの言葉」について語られました。とても刺激的な対話でしたが、小友先生は「空」と訳されているヘブライ語のへベルという言葉の意味の広がりを指摘し、「空しい」という意味のほかに「束の間」という意味を考えておられるとのことでした。そして人生は束の間だから意味がないのではなく、束の間だからこそ大切に生きなければならないということを言っておられました。

そして、「天の下では、すべてに時機があり、すべての出来事に時がある。」わたしたちの人生の様々な局面に「時」があるように、学校にも「時」がある、そのように明治学院の歴史を見ると思わされます。ヘボン博士が横浜にヘボン塾を開いた「時」、東京一致神学校と東京一致英和学校と英和予備校が統合され明治学院という名称でひとつの学校が成立した「時」、政府の圧迫を受けた「時」、戦争に協力せざるを得なかった「時」、戦後明治学院中学校が、続いて高等学校、そして大学ができた「時」、学生運動で学校が荒れた「時」、中学校が東村山に移転し、東村山高等学校ができた「時」、それ以後も様々な「時」がありました。それぞれの「時」に多くの学院関係者が労苦し、ときに葛藤し、ときに対立し、ときに合意して、現在の明治学院があることを思うと、この学校が人間の業を超えて導かれてきたことを思わざるをえません。

明治学院はヘボンやブラウンをはじめ、何人もの宣教師たちの祈りと労苦と願いをもとに造られ、発展してまいりました。大学の「Do for Others(他者への貢献)」、高等学校の「隣人を自分のように愛しなさい」、中学校・東村山高等学校の「道徳人、実行人、世界人」はいずれも自分を大切にするとともに、隣人の、他者のために生きることを教育理念にしています。混迷する日本や世界の中で、生徒、学生たちに人を愛し、自分と他者のために生きる力をつけさせたいと願っています。